
この写真は実家の2階にある私の部屋だ。
経年変化で飴色に輝いていた部材をなぜかターコイズブルーに塗りたくったのは、元オットである。クラシックな飴茶色の扉や窓枠が、ある日突然、夢の中のフェアリーの世界にぶっ込まれたかのように淡いブルーに塗られて部屋でワルツを奏でていた。
この部屋にはいろんな思い出がある。
小さい頃はガラスの丸窓からよく抜け出して1階の屋根の上に降りて好きな本をずっと読んでいた。親はいつも「危ないから降りなさい」と言ったが、屋根の上という、物語の主人公の気分になれる自分だけの空間はそう簡単には手放せなかった。
しかし、実は1階の屋根はかなりの傾斜なので、大人が屋根の上に降りるには急勾配すぎた。ある日雑誌の撮影に同行してきたロケバスさんが窓ガラスの半分を割ってしまった。昔の装飾ガラスはもう入手困難で、テキトーな臨時のガラスが入ったままなので、左右が異なるのがポイント。
この部屋は映画の撮影にも使われ、モノクロに変換されて、それはそれは甘美な昭和初期のインテリアだったこともある。
しかし映画のスタッフや美術さんがいなくなると、この通り、急に、寂しい。
ただこの部屋で白眉なのは、中央にある高さ70cmくらいの「開かずの小部屋」である。小さい頃は怖くて怖くて一度も開けられなかった「開かずの小部屋」。中に知らない親子がずっと住んでるかも…『ナルニア国ものがたり』のように向こう側に違う世界があるのかも…なんて妄想もしたが、とにかく開けてはいけないと思っていた。
大人になって、親族の葬儀の時に家で友人たちと飲んでいたら気が大きくなって、つい「中がどうなってるかわからないけど開けてみる?」と誘ってしまった。いざ開けてみると、もちろん誰も住んでなくて、ナルニア国にも通じてなかった。室内は真っ暗でアルミのようなものが壁中に貼られていて、天井は1mくらいのかなり広い空間。大人は屈まないと入れない。そして、たくさんの段ボールやみかん箱や“つづら”や古いトランクが山積みになっていた。
母親はよくわからない父や祖父の遺物が出てくると、とりあえず何でもこの秘密の小部屋に放り込んでいたのだった。「戦史資料」と書いてある段ボールや膨大な日記類、大昔に祖父が渡航した時の資料なども入っていたようだが、きちんと探すとおそらく勲章や恩寵煙草や日本刀(銃刀違反)みたいなものがわらわら出てくると思う。
私は今も実家に帰った時に、 そーっと「開かずの小部屋」のドアを開けてみる。そしてその後、そっとドアを閉めるのだ。