今年、ミラノを訪れたときのこと。
観光地から少し外れた小さなレストランで、何気なくパスタを食べていた。
ふと、店員がこちらに近づいてきて、私の腕を指差しながら一言。
「それは、なんだ」
少し意表を突かれて、理由を探す間もなく言葉が出た。
「今日は仕事をしない日だから、これをつけている。」
自分でも驚くほど自然な答えだった。
彼は一瞬考え込んでから、低い声で「めっちゃ深いやん。」とつぶやいた。
そして奥へ引っ込み、今度は一緒に働いているらしい息子を連れて戻ってきた。
二人は交互に、私の腕にある時計の形をしたブレスレットを手に取り見つめる。
アクセサリーは、ときどき会話の入口になる。
説明しようとしたつもりやったけど、実際には多くを語る必要はなかった。
あのブレスレットが何を示しているのか、明確な答えを渡せたわけでもない。
それでも父と息子は、言葉を交わし始めた。
形の意味、時間のこと、仕事と休みの境目の話。
正解を探すというより、それぞれの考えを確かめ合うように。
そのやり取り自体が、何かを彼らの中に残したように思えた。
煌めくのは金属や宝石やなく、そこに宿った意味そのものなんだとも思う。