
電車や駅のアナウンス、スーパーの店内放送や店先のスピーカーから流れる爆音の商品説明、音の割れた再生音楽、家に帰ればお風呂や冷蔵庫の作動音……と、日本はノイズに溢れかえっている。
私が特に苦手なのは、公衆トイレに置かれている擬音装置、音姫だ。使うつもりがなくとも、センサーが勝手に作動して、フェイクな小川の音(?)や滝の音(?)が流れ出す。
私がまだ日本に住んでいた1980年代、ある女優がテレビ番組で「一回のトイレで7回水を流す」と自慢げに語っているのを聞いたことがある。当時は、世界の水不足や環境問題が今ほど深刻に議論されてはいなかったとはいえ、その発言には仰天したのを覚えている。
現在では、日本のほとんどの公衆トイレに設置されている擬音装置・音姫が登場したのは1988年。まさにその頃、私は初めて日本を離れ、ボストンの音楽院で夏期短期留学を体験した。
そもそもアメリカのトイレは、扉の足元と上部が空いており、完全な個室空間ではない。ずらりと並ぶ音楽院のトイレで、女子たちが勢いよく放尿する音を放っているのを聞いたときは、いささかカルチャーショックだった。
その後もさまざまな国を旅行して、世界のトイレを体験したが、用足しの音を消したり隠したりする文化には、日本以外では出会ったことがない。
そろそろ、解像度の低いフェイクな小川の音に頼るのではなく、自分自身の自然現象を恥ずかしがらず、むしろ慈しむようなカルチャーへと移行していくのはどうだろうか。