
群馬出身でもない私が、足繁く通っている特別なお店が群馬県の片隅にある。名前は淡々。深煎りの自家焙煎珈琲があるお店です。
そこには淡々にしかない特別な時間軸と居心地の良さがあるのです。
淡々は亭主の綾子さんのご家族が養蚕をしていた築70年越えの納屋を数年かけて改装した空間で、扉を開けると店内にはやかんの湯気が立ち込めていて、淡々が作り出した時空なのかタイムスリップしたようなファンタジーな空間になっている。カウンターから見える大きな窓からは季節と時間ごとに移り変わる空がよく見える。周りには民家があるだけで、亭主がコーヒーを淹れる音と静寂な時間がただ淡々と流れています。
そんな淡々は所在地がメディア上に記載されていないのですが、そこには現代に忘れられていた本質的な意味があると思っています。「こんな素敵なお店があってね」と友人から直接聞いたり、お店のショップカードを見つけた人が辿り着けることもあります。お一人でいらっしゃるお客様も多いのですが、常連さんも初めての人も一緒に会話をしていたり、淡々という場所で顔見知りになって繋がったり、だからといって常連だらけの入りにくさや一見さんお断りみたいな圧もなく。それは決してSNSやデジタルなやりとりではなく、世代や性別も関係なしに、その場合に辿り着いた人たちが自然につながって、「今日はお仕事お休みなんですね」みたいな一昔前の喫茶店や銭湯にあるようなそんなやりとりがあるのです。
今の時代は、SNSで情報を得たり、人と繋がったり、それもまた便利なツールではありますが、私を含め、きっと多くの人にとって淡々の場所で過ごすその時間にはそこでしか生まれない、そんな繋がりや時間が刻まれる秘密の場所になっているのだと思います。