勉強嫌いな高校時代、テストはいつも学年ビリ〜ビリ10、通称・十刃(エスパーダ)。その分打ち込んだラグビー部、日本代表なんて程遠いけど、チームが全国に行けば推薦とか貰えるかもしれない、くらいの状況で、進学の望みをかけた最後の大会でトンガ人留学生2人を擁するチームに撃破されたことは言うまでもありませんが、そこでもし推薦から大学ラグビーまでやっていたら、体育会系の豊富なコネクションを活かしてゴリゴリサラリーマン、ゴリラーマンをやっていたような気がします。流され続ける性格は変わらないと思うので、No.8の遠藤先輩(仮)に入れって言われた商社に入ったりしたでしょうね。バガリアの寒河江さん(実)に誘われて吉本に入ったように。そして入社したら意外とその業界に興味が湧いて、成績のいい先輩にくっつき、「商-1グランプリ」に向けてプレゼンを叩くんです。ファミレスで朝まで「プレ作り」したり、同期と「プレ見せ」したり、駆け出しの頃は「ゴング商 形式」のプレゼンで最後まで発表し切れない、なんてこともありそうですね。ないか。ないか、そんなこと。