私は無駄が大嫌いである。
自分の実にならないことに、時間やお金を費やすのが嫌なのだ。
人と居る時には発動しないこの感覚が、1人になると突如目を覚ます。
例えば、学びにならないと感じているコンテンツを、だらだら見続けること。
それは、普段の私には許されない行為に近い。
歩ける距離にスーパーや飲食店があるのに、宅配で食事を頼むのも同様だ。
配送料や手数料がかかる上に、通常より高く設定された価格を支払う。
それは、私にとって明確な「無駄」である。
だが、そうした意識を保てなくなる程、心底疲れて何もしたくない日がある。
そんな日は、禁断の日になる。
私が普段嫌っている、実にならない無駄を、すべて解禁する日だ。
目覚ましをかけず、泥のように眠る。
昼過ぎに目を覚ましたら、何も考えずに SNS や YouTube を飽きるまで眺める。
宅配で昼ご飯を頼み、だらだらと食べる。
片付ける気も起きず、テーブルの上は散らかったままだ。
そこから、特にお腹が空いているわけでもないのに、家にあるお菓子をつまむ。
わざわざ寝床に入ることもなく、崩れた体勢のまま昼寝をする。
変な体勢で寝ていたせいか、体のどこかしらが痛くなって目を覚まし、最悪の場合は夜ご飯も宅配だ。
加えて、何の疲労もあるはずのない体に「お疲れさま」と言い訳をして、ビールを頂く。
そんな日が、たまに訪れる。
たぶん私は、背徳感によって活力を取り戻しているのだと思う。
無駄を嫌う自分が、無駄に救われる日。
そんな日があってもいいじゃないか。
そう言い聞かせながら、今日も自分を甘やかした。